オトナ帝国・温故知新・社会不適合者

社会

映画「オトナ帝国の逆襲」とは

クレヨンしんちゃんの名作映画「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」はご存知でしょうか。

You Tubeで岡田斗司夫さん(愛称:オタキング)も本作について解説をしており、再生回数が非常に多いですよね。

キャッチフレーズは「21世紀はオラが守る!」

自分が見たとき、まさにしんちゃんに近い歳だったため、しんちゃんが階段を駆け上がっていくシーンは当時から感動して泣いてました。

当時のしんちゃんの声優だった矢島晶子さんも、この映画は自分の中ではしんちゃんの映画の中で大好きなうちの一つと答えており、演者さんにとっても別格の存在であると評価されている映画です。

ある日の夢で

で、少し話が脱線しますが、ある日見た夢で、オトナ帝国の逆襲に通じるなと思った点があったので、以下に書いてみます。


冬のある日、ひろしがみさえと大ゲンカし、みさえがしばらく実家に帰る。

ひまわりはみさえが連れて行ったものの、しんちゃんは珍しく置いてかれる。

春日部は珍しく大吹雪になる中、冷蔵庫に買い置きされていた食材も尽きたので、料理下手(ひろしの料理スキルがわかりませんが)なひろしはカレー用の具材を買って、カレーくらいならオレにもできるだろう!とスーパーに行った。

買った物を袋詰めしているとき、窓から外を見やれば猛吹雪、冷凍野菜も同じく冷たい。

みさえがいたときはケンカしながらも、何だかんだ暖かい家庭だったなあ、とひろしは涙を一粒。

悪戦苦闘で料理しながら、もしこの先みさえが帰ってこなかったら…とひろしが不安に苛まれ、泣き出してしまう。

その姿を見たしんちゃんは、ひろしを「よしよし、そんな泣くことは無いゾ」と、ダメージを負い、冷え切ったひろしの心を暖めてくれる。


というところで夢から覚めました。

この場面、オトナ帝国でいう、少年になったひろしがしんちゃんにひろしの悪臭靴を嗅がされる

→ひろしの少年時代から、社会人になり苦労しながらも4人家族を築き上げるまでの回想シーンという超名場面(BGMも相まって毎回見る度に自分は泣く)

→ハリボテに囲まれた撮影スタジオのような場所で、大人に戻ったひろしはしんちゃんを父親として泣きながらハグする。

家族をテーマにしたアニメがしんちゃんですが、その真骨頂ですよね。ということを岡田斗司夫さんも言っていたと思います。

先程書いた夢から覚めたとき、あの場面を真っ先に思い出し、自分も泣いていました。

で、なんで岡田斗司夫さんもわざわざその解説をしていたことをここで書こうとしたかというと、ひろしが泣きながらしんちゃんを父親としてハグする。

この行為から、「大きなものにすがり、安心したい欲求」が垣間見えるなと思ったのです。

温故知新

ここで、仏教の話になりますが、東アジアでは大乗仏教がメインです。仏様がこの浮世から救ってくれるから、仏様を信じよう!というものです。

一方、東南アジアでは小乗仏教という、仏様に救われたければ厳しい修行をせよ、というスタイルがメインです。こちらは今回割愛します。

話を元に戻しますが、社会の荒波の中で、ひろしが家族愛という精神的、観念的というマクロなものに価値を感じ、それを失いたくはない、という価値観から涙を流す。

これ、大乗仏教的だと思いませんか?(キリスト教もイエス・キリストの言葉を信じるという観点からは大乗仏教的ですが、その辺も話し出すと収拾がつかなくなるので)

自分の大学時代に所属していた哲学の研究室の恩師は、「巨人の肩に乗ろう」ということをよく言っていました。

どういうことかというと、先人(知の巨人)が書き上げ、残してくれた文献をありがたく読み、研究しよう。

すなわち温故知新です。

哲学入門書には、それは既に過去にこの人が問題提起しているんです、というフレーズが使われています。

世界を哲学するためにはまず文献に当たろうということです。


社会的動物として

何も一人でできる人はいません。自分も今は偉そうな口調でこのブログを書いていますが、ブログを始める際には先人が書いてくれたサーバーの開設方法などの知識を吸収し、こうして書くことができているわけです。

人間はそもそも社会的動物なので、助け合っていくことが不可欠です。

社会不適合者の自分も、リアルではかなり狭い範囲の人としか関わることがないですが、ネット上では色々な分野の先人達に学ぶことができる。

そういう意味で、自分は社会不適合者といえども、フィールドを変えてみれば、根っからの社会的動物なんだなあと思った次第です。

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