需要がまずないであろう本シリーズ。これからの記事執筆に向けて自分にとっては重要な要素が発見できるので書いちゃっています。
悔しさの化身として高校に入学。
入った瞬間、次は後悔したくない、また、今度こそいじめられないようにという強い思いがあった。
高1のとき、数学Ⅰ・Aは休み時間でも問題集を解き、いじめられまいと髪型もイメチェン、眉毛は中学までは床屋に月1で整えてもらう程度だったのが、1〜2週間おきに整えてもらったりして身なりも高校デビュー。
勉強もできるし見た目にも気を使ってる俺ヤベーと酔いしれていた。成績は在籍していた特進コースの中ではトップクラスだった。
なお、高校には、進学コース(←部活を重点的にやりたい人向け)・特進コース・選抜コース(文科系以外の部活禁止)があり、選抜コースが一番上のレベルである。
高1のとき、文化祭でクラス制作したTシャツをみんなで着てクラスの集合写真を撮ったが、自分だけは制服を着て俺は違う存在なんだ感を出して写っていた。
今、写真を見返せばコイツとは関わりたくない感しかない。
真面目さというか、思春期独特の無鉄砲さに加え、協調性の無さがここでも垣間見られる。
ここで、1つ恥ずかしい思い出がある。席が隣の女子がバレンタインはあの人に本命にあげたいんだけどどうしよう〜と友達と話しているのを自分は盗み聞きしていた。
話を聞いていると、どうやら本命の相手は自分に特徴が当てはまっている(詳細な特徴はもはや忘れてしまったが)。
これは2/14は期待できるぞ!と当時は勝手に舞い上がっていた。
その女子は、顔もそこそこ良い感じで、体型もむちむち系だったので、思春期よろしくムホホォとなっていた記憶がある。
2/14に向け、胸の高鳴りを抑えつつ相変わらず日々を勉強して過ごしていた。
いざバレンタイン当日。どうやら当該女子は、本命が最寄り駅から電車に乗り、多くの生徒が乗換する○○駅に行くのを尾行し、渡すという。
自分はその次の駅が乗換だったが、この日はわざわざその駅で降り、意味もなく歩き、女子がチョコを渡せるよう隙を作っていた。
が、しきりに後ろを振り返っても、一向に尾行の気配を感じない。
まさか相手は尾行が上手いのか!?と勘ぐり、本来の自分の乗換駅まで行った。
そして、乗換の電車に1人で乗る。あの女子は通学にこの路線は使わない。
そして、やはり誰からも尾行されている気配はない…。
ここで気づいてしまった。自分があのむちむち女子の好きな男ではないと。
ここは雪国。冷たい風がいつもより目に染みたのか、車窓からの景色がいつもよりぼやけて見えた。
この日を境に、もう女子の言うことは信用ならん!と勝手にぷんぷんキレて、こじらせた。
そして、当時ニコニコ動画で流行っていたものの、サブカルとしてどこか敬遠していた「チルノのパーフェクトさんすう教室」を見て、なんだこのかわいい声は!と、サブカルの沼にドハマリしていったのである。
東方はこの出来事以来、今でも好きなジャンルの1つである。
さて、学校生活はというと、高2に向け、担任と進路相談をしていたが、高校受験の悔しさから、東大京大or医学部に行きたいと当時考えていたため、高1での成績も考慮され、選抜コースに高2から行けることになった。
だが、選抜コースはやはり格が違ってくる人ばかりであった。
選抜コースでの数学の授業は高2になった時点で数学Bのベクトルをやっていたため、特進コースでは高2からの内容であった数学Ⅱは完全独学だったものの、初めてやる単元には楽しさしかなく、三角関数や微積分も楽しんでいた。
だが、数学だけやっていればいいわけでもなく、自分は理系だったため、物理・化学もやらなければならない。
選抜コースでのトップクラスに行けば、東大京大レベルに行けると聞いていたが、日々出される課題をやっていてもなかなか成績は上がらないし、時間も足りない。焦っていた。
そうした勉強のストレスもあり、休日は東方(当初は原曲とPVしか知らず、音楽のジャンルだと思っていた)の「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」や「Bad Apple!」をニコニコ動画で見て、次第にこのキャラかわいい。欲しい!となり、フィギュアやねんどろいどをお小遣いを貯めて買っていた。
高2の終わり頃には、勉強机の本を置くスペースはすべてフィギュアで埋まっていった。
また、通学時はラノベを読み、耳では東方の原曲を聞き、帰ってからはアニメを見て、部屋には迷い猫オーバーラン!のタペストリーも加わり、オタ部屋となっていた。完全に萌え豚であった。
一方で、選抜コース内での成績はフィギュアの数とは反比例するかのように低迷していた。
完全に失速し、勉強のやる気も上がらない中、もがいていた。授業中は居眠りすることも多くなっていた。
そして、一度目の大学受験。
当時のセンター試験では、案の定、自己採点では国語は80点位/200点、物理が50点位/100点、得意の英語は140点位/200点、他は70点位/100点だったか。
この成績では、東大京大どころではない。国立大学も厳しいんじゃないかと担任に言われた。センター試験の結果が出るまで、絶望の自己採点から奇跡が起こると信じ、京大を受験しようとし、2次試験のための切符・ホテル等も取った。
だが、やはり結果は自己採点どおり。
なので、担任と相談し、浪人する前提で、見込みは無いが京大に突撃し、身の程を知るのが1つ目の選択肢。もう1つは、京大は諦め、なんとか引っかかりはするであろうレベルの大学を受験してリスク回避。
受験費用も無駄にできるものではないため、後者の方針で願書を出したものの、センター試験の結果が足を引っ張っていたのか、前期・中期・後期で全滅。
現役時の大学受験までに、こうして得られた教訓は、自分を見つめ直すこと。
- 自分の理想を追いかける余り、理想を追いかけることが手段ではなく、目的になっていた。
- 盛大な勘違いからの失恋。
- 苦手なことから目を逸らし、臭いものには蓋をし、奇跡が起こると盲目的に信じていたこと。
こうして、浪人生となった。
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