世間の「常識」
日本の学校教育(特に大学受験まで)では、正しさが指標となり、人々は「正しい」道を歩むべく、勉強しています。
もはや陳腐な言い方ではあるけど、良い大学から大企業・公務員で働くような、「敷かれたレールに乗る人生」が再現性が高く、ある程度の水準の幸せを享受できるという考え方がまだ一般的です。
社会不適合者としての略歴
ただし、その考え方のもとで生きていける人は、そもそも社会性がある人(コミュニケーションに苦痛を抱かない・どんなケースでも報連相ができる)でしょう。
かくいう自分は、
- 中学校ではいじめられる
- いじめた奴らを見返すべく、高校受験の模試で志望校A判定を出していたものの不合格
- 大学受験(現役時)で前期・中期・後期すべて不合格
- 一浪して大学に入ったものの、同年代の学生たちと馴染めない大学生活を送る
- 見落としにより1年留年
- 4年生のときに進んだ哲学系のコースでは奇跡的に楽しく学べた
- コミュ障炸裂により、公務員試験は面接で全落ち、民間企業も十数社に応募するものの、たどり着いた小規模な派遣会社には2月頃に内定(入社2か月前)
- 派遣先でコミュ障再び炸裂、上司と上手くいかず、やりがいも感じることができず、1年で辞める
- 一念発起して公務員試験を再受験、受かるものの、組織に馴染めずパワハラ受ける→適応障害・抑うつ状態
という、社会不適合者麻雀でいうと役満に近い人生です(何やそれ)。
自分と哲学
どこかで聞いた話ですが、「大学で哲学をやっていた人は社会で上手くやっていけない」という言説は自分的には的を射たものと感じています。
抽象的に考えるあまり、スケールの大きいマクロ視点になってしまうので、本質には近いけど実用的ではないという事態に陥ってしまっていると思います。
仕事に抽象的思考を適用した結果
例えば、公務員時代、通達に則って作業をしていきますが、
「そもそもこの通達って、財政的にキツいから一時しのぎに過ぎない措置であって、応急処置に過ぎないのでは?」
「なら財政的な問題を解決するには某予算の規模をそもそも見直さないと、公務員の働き改革など焼け石に水では・・・?」
「ということは、巨額予算が絡むとなると、政治家が動かないとすべて無意味・・・?」(公務員は議会で決めたことに対し反対できない)
と、大学時代に培ったそもそものところから考えることをやってしまうと、自分の考えた範囲では本質的には業務の空虚さが否定できなくなってしまうんですよね。
さらには、上司は、気に入らない人に対してじわじわ追い詰めていく人で、一度納期の割に時間のかかる作業が遅延に遅延を重ねた結果かなり詰められたことがトラウマになり、上司への報連相を気軽にできなくなりました。
そして、上司からじわじわパワハラされた結果、精神病み病みになりました。
社会のアウトサイダー
自分の中に、中学でのいじめられた経験以降、どこか社会から外れた存在(としての自分)の認識が今思えばあったと思います。
ところで、アウトサイダーといえばですが、
2022年10月~12月には「ぼっち・ざ・ろっく!」が大ヒットしました。
主人公の後藤ひとり(ぼっちちゃん)と廣井きくりの生き様を見て、「このように生きてもいいのか」というある種のカルチャーショックを受けました。
一連の結果、自分の中にUSA的なリバタリアン思想が芽吹きましたが、またこれについては別の機会に。
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